大仏くん.com

競馬予想と小説、様々な競馬に関することを書いてます。予想方法は現在研究中ですが、血統と騎手、コース適正から予想しています。

競馬予想と小説、様々な競馬に関することを書いてます。予想方法は現在研究中ですが、血統と騎手、コース適正から予想しています。

約束通り、退院後園田競馬場に連れて行ってもらった。


そこで見た景色はテレビで見るより遥かに広い!そして、馬が目の前を歩いている!

興奮気味にはしゃぐ僕。

それを見て、微笑む父親。


初めて父親との楽しい思い出が園田競馬場だった。


僕はパドックで馬を見て興奮、返し馬で興奮、レースで興奮と常に興奮していた。


父親は馬券を買っていたが、すこぶる調子が悪かったらしく結構負けていた。


最終レースを前に帰ることになったが、僕にとっての競馬場デビューは「感動と興奮」の一言だった。


帰りの車の中でもずっと馬について語る僕、それを適当に聞き流す父親。


今思えば、父親は少しイライラしていたのだろう。

家に着くと母親はご飯の支度、僕は珍しく父親とお風呂に入った。


お風呂の中でもずっと競馬の話をした。

その時の父親の表情は少しイライラが収まり、笑顔で話を聴いてくれた。


ご飯を食べ終わり、父親が僕を近くの本屋に連れて行ってくれた。

その本屋で父親は馬の写真がいっぱい載っている本を買ってくれたのだった。


僕はその本をずっと熱心に読んだ。

大事に大事に寝るときも枕元に置いて寝た。


しかしその数ヶ月後、もっとすごい経験をするのだった。


続く

入院生活をしているうちに段々と暇な時間が増えてテレビを見ていた時、テレビで初めて競馬を見たのだった。


その時に見たのは園田競馬だった。


競馬はおっさんがするもの。

と僕は認識していた為、意識的に今まで見た事もなく、この時に初めてじっくりと競馬を見た。


よくわからないが速く走る馬がとてもカッコよく見えた。

一生懸命に鞭を振るう騎手、それに答えて懸命に走る馬をみて、シンプルにカッコいいと思った。


するとパート終わりの母が病室に来た。


競馬を見る僕をみて母は

「こんなん見るの100年早いわ!」と言ってチャンネルを変えた。


僕は母に向けてこういった。

「退院したら馬見にいきたい!」


母は即答で「お父さんに頼みーや」と返した。


僕にとって、父親は非常に怖い存在だった。


ザ昭和!と言った典型的な頑固オヤジだったからだ。


あまり父親との楽しい思い出はない。


しかし、馬を見にいきたいという僕は、入院しているという立場を利用し、仕事終わりに見舞いに来た父親に勇気を振り絞って頼んでみた。


「お父さん、退院したら馬見に行きたいから連れて行って!」


すると父親は

「競馬なんか子どもがするもんちゃう。」と一言で終わらせた。


その言葉を聞いて、僕は非常に残念な顔をした。


あまりにも残念そうにあからさまにヘコむ僕を見て父親が

「どうしてもみたいんか?見るだけなら退院してから連れて行ってやるわ。」と心の折れた表情で言った。


僕は嬉しくて嬉しくて、早く退院したい!ということを担当のお医者さんにも伝えた。


するとお医者さんは

「来週の頭には退院しても大丈夫だと思うよ。」といった。


そして、翌週僕は退院した。


ついに初めての競馬観戦を経験する時が来るのだった。


続く

19905

兵庫県に大仏くんは誕生しました。

3600gも比較的大きく、長男だったため、とてもチヤホヤされて幼少期を過ごしました。


幼稚園に入園間も無く、人生1回目のモテ期到来。

僕の横に誰が座るかで女の子同士が喧嘩するほどの人気者に。

しかし、僕が好意を抱いてたのは、副園長先生だった。


面倒見が非常にいい副園長先生は、誰に対しても優しかったのだが、僕にはひときわ甘く(当時は)感じた。


何かあるごとに副園長先生の元に行っていた僕は、担任の先生よりも副園長先生が好きだった。


卒園式の日、僕は泣きながら副園長先生と写真を撮った。

忘れもしない、人生最初で最期の涙の卒業式。


小学校に進学し、何事もなく進級していくのだが、小学校3年生の時に事件は起きる。


生まれつき体が弱かった僕は、頻繁に風邪で学校を休んでいた。


小学校3年生の秋。

熱を出し、1週間ほど学校を休んで久々の登校。


みんなと久々の再会にテンションが上がって僕はみんなとふざけあっていた時、事件は起きた。


会話をしながら横を歩いていた友だちにぶつかりコケてしまった際、右手をとっさに突き出してしまい、骨折+脱臼をしてしまい救急車に。


そのまままた入院をすることに。


この時に僕は運命の出会いを果たすのだった。


続く

このページのトップヘ