ガッチリした四肢はいかにもパワーのいる馬場に向きそうで、年末の中山開催に合いそうな脚。
胴も程よくふっくらと映る。好勝負に期待できそうだ。
いかにもパワーのありそうな迫力のある馬体。
トモにもパワーが感じられる。スピードコースの東京よりも中山が向きそうだ。
激走のあとだが馬体はガレるどころか前走以上の出来。
毛ヅヤもよく、前走に引き続きいい出来で臨めそうだ。好勝負必至だろう。
天皇賞の激走からか、前走で感じられなかった迫力が戻ってきた。
しっかりと結果を残せそうな馬体。こちらも好勝負必至。
それから月に1回は競馬場に連れて行ってもらうようになるのだが、徐々に競馬の魅力に惹かれて行くに連れてある夢を持つのだった。
それは「騎手になりたい。」
中学校に進学した僕は、父親の影響で柔道部に入った。
鳴かず飛ばずの成績だったが、黒帯を取ることも出来た。
中学校3年生になり、進路を決める時期に僕は、 JRAの騎手課程について調べた。
する時応募条件に「身長制限、体重制限」の文字。
僕は身長180cm、体重 65kgだったため、応募資格すらなかったのだった。
しかし僕は次なる目標を持つことになる。
「馬主になる」
少年時代は今思えば怖いもの知らずだった僕は、馬主になって競馬に携わりたいと考える。
その時に馬主について調べると「とにかくお金持ちにならないといけない。」ということだけはわかった。
それだけを理解したら答えはすぐに出た。
「なんかの社長になればいい!」
そんな簡単な目標だけで僕は商業高校に進学することを決める。
今思えば、商業高校=社長というわけではないのだが、とにかく社長になるには商業高校を出た方が有利と勘違いしていた。
見事に安易な考えで進学先を決めた僕は、一心不乱に受験勉強をした。
そして、安易な考えで進学先を決めた僕は、商業高校に見事合格するのであった。
とある週末、父親が「出掛ける準備をしろ。」というので、着替えて車に乗る。
「どこ行くん?」と聞くと父親は「着いたらわかる。」と一言だけで車を運転する。
到着すると、やたらと広い駐車場に車を停めて、少し歩くと目の前には「阪神競馬場」の文字。
ん?阪神競馬場?
前行ったとことは違うんや。
でも馬が観れる!とすぐにテンションが上がった。
園田競馬場と違い、比較的に若い人もチラホラ居た。
子ども連れの家族も非常に多かった。
僕は父親に
「前のとことここは何が違うん?」と尋ねる。
父親は少し考え、一言でまとめた。
「競馬場にもレベルがあって、その中でもレベルが高めなのが阪神競馬場やで。」
正直、よくわからなかったが、とにかくレベルの高い馬が観れる!という事だけは理解した。
目の前で走る馬はやはりカッコいい。
ターフィーとも写真を撮った。
これが僕の人生の転機だった。
続く